湯布院塚原のいろはにほへ陶ギャラーリーでの写真展(2001年8月) Exposition à Yufuin Irohanihoheto Gallery


二人で  (飛騨高山) NOUS DEUX  (Hida Takayama)

 

飛騨高山に行くたびに、まず朝市には必ず行く。おつけ物が大好きで、宮川に出ているすべての専門店で味見をする。特に大好きなのは「赤かぶ」のおつけ物。タップリ味見してから、からからになったのどをあちらこちらで紹介している椎茸茶で潤す。でもこの赤かぶは買わない。理由がある。隣の町の古川にはそれを作っている友達がいるから。

「はまちゃん」と呼ばれて、感動的な話を聞くとすぐ泣く男。高山のお寺で泊まらないとき、古川の神社の裏にある彼の家で世話になります。出来ることなら彼の所でお世話になりたくない。と言うのは、はまちゃんがずっと前から病気と闘っているから。でもそれが理由ではない。彼の健康法のひとつがお腹から大きな声を出して歌を歌うこと。一人で歌を歌うのはあまり好きじゃないのでいつも友達を家に呼んでいる。

だから、私も彼の所へ行くとき、歌わせられる。広い屋根裏部屋でみんなが輪になって、冬の夜遅くまで腹から気持ちよく歌うはめになる: 「たかさごや。このうらぶねにほをあげーてーー。このうらぶねにほをあげて。つきもろともにいでしおの...」

優しい奥さんに支えられて、彼は一生懸命生きている。人の心を分かるからこそ、ときたま人の前でも平気で泣いている。

はまちゃん、奥さん、二人だけでも歌って、頑張って下さいね。

 

 


夫婦岩   (佐渡島) ROCHERS ET COUPLE  (Sadogashima)

 

このグレイ一色の世界の中でそれこそ「二人三脚」で明日よりも今日へ向かって歩くその二人の姿がまばゆい。

茅ヶ崎から車で10分の所、二家本ご夫妻が暮らしています。ご主人はフランス料理のシェフで、奄美大島出身の奥様は織物の匠。

初めて紹介された晩、ご自宅で夕ご飯に招かれた。せっかくの日曜日だったのに、毎日レストランで料理を作っているご主人が一日かけてフルコースディーナーを準備してくれた。それが三つ星クラスの料理だった。

帰りに、奥さんから自分で編んだテーブルクロースをいただいた。私の好きなブルー色。共通の友達に言われて好きなブルー色でわざわざ編んでくれました。なお、彼女は2004年6月パリで展覧会を計画中です。

自分の手で形のある物を作る人がうらやましくて尊敬する。
自分の手で形のある物を作る人がまばゆい。

 

 


青い雲  (佐渡島) NUAGES BLEUS (Sadogashima)

 

家から出たことなかった六地蔵を佐渡へ連れてってあげたかった。里帰りではないがおそらく彼たちによく似合う所だろうと思って、他の32体の人形を連れて行ってきました。

想像してた通りに、佐渡の不思議な冬の空とマッチしていた。

毎日家に戻って来たとき「だだいま」と言えば「お帰りなさい」と言ってくれるのはこの六地蔵です。

「お帰りなさい」とは普通、外出して戻って来た人に対してする挨拶ですが実際もう一つの意味があることを今まで全く知らなかった。

外出をすると体には色んな悪い魔性が憑くから、家に戻る人に「おかえりなさい」と言うとともに魔が入らないように魔には「(元の場所へ)お帰りなさい」と言う意味が含まれていると二家本さんの奥さんが教えてくれた。

これでもう少し利口になった。ありがとう。

 

 


冬空  (佐渡島) CIEL D'HIVER (Sadogashima)

 

冬の日本海より、暗い所はない。

冬の佐渡島を見たくって、日本海を渡って、一週間、島を回った。

天を駆ける、手をのばせば触れるくらい低い黒い雲、空を千切るような冷たい風、黒い荒い海...

これより寂しい場所はない。
これより不思議な所はない。

ロマンチストでなければ、あそこでは冬を過ごせません。でも日本中のどこへ行っても、こんな色合い見られません。大好きな色。

救いのないロマンチストが考えることやなァ。

 

 


合掌  (飛騨高山) MAINS JOINTES  (Hida Takayama)

 

冷たい雪に覆われた、手を合わせたような屋根が美しい。

「日本昔話」に出てくるような景色が何とも言えない。

小さいときから、日本についての本を読んでいた私はどうしても白黒のイメージが強くって、こういった風景を求めて冬山を始めたかもしれません。日本の色んなことを知ってから京都へ行こうと考えて私は10年間待って、冬の一番寒い時期、初めて都へ行きました。

無風状態の晴れ空の中の金閣寺が単なる「馬鹿でかい」はがきとしてしか見られなくって、3泊4日のつもりで行ったが次の日東京に戻った。

桂離宮よりも合掌造りが好きな僕が好きです。 

 

 


ひなたぼっこ  (白川郷) PAUSE CIGARETTE (Shirakawago)

 

漢字を知らないと、ときたまとんでもない勘違いを起こす。

山では一時間歩いて、10分休む。たばこ好きの私にとってその休むところでの一本がとてもおいしい。

特に冬山では日が当たるところで吸うのは最高のうまさ。その一時を「ひなたばこ」と言うと勘違いして、20年間以上、「ひなたばこ、ひなたばこ」と言ってた。

20年以上、「この言い方がおかしいぞう」と誰も教えてくれなかった。

「許せない。」

でも皆様のこのおもいやりに感謝。

 

 


しょぼんと (佐渡島) TRISTESSE (sadogashima)

 

この方のように、時たま人間は途轍もない寂しさに襲われ、何も出来なくなる。立ったままで、遙かな地平線のほうを見ながら何も見えない。先が真っ暗。周りの花が枯れ葉に、春が冬に見えて、どうにもならなくなる。何でそうなるのでしょうね。

「コマン・タレ・ヴウ?」(フランス語で「お元気ですか。」)と聞かれてもフランス人は、たとえ倒れそうになっても必ず:「トレ・ビエン」(いたって元気ですよ)と答える。

振り向くと、その「いたって元気」の方が倒れてる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。滑っただけです。」

フランス人って、皆が役者です。

どうしても役者になれない私が、その寂しさが自然に消えて行くのをひたすら地平線の方を見ながら待つ。

 

 


ほほえみ (佐渡島) SOURIRE (Sadogashima)

 

自分の子供が生まれて初めて微笑んでくれたときの微笑みより素晴らしい微笑みはない。

何で赤ん坊が微笑むだろう?色んな説がありますがどうしてもそれぞれの説に何か物足りないと感じて仕方がない。

「親を喜ばせることによって未熟な自分をしっかり面倒を見てもらうため」と言う説もある。それを考えた「専門家」はきっと心の貧しい方でしょう。きっと自分の子供を育てるのに苦労した方でしょう。

それを考えてる私が微笑んでる。結構、いやらしい微笑み。

上の方の微笑みと違って... 

 

 


星空  (佐渡島) CIEL D'ETOILES (Sadogashima)

 

日本書記及び古事記を読んで気が付いたことが一つある。その二冊の本には、「星」の話が全くありません。強いて言えば、「流れ星」についての句が一つあるくらい。何ででしょうね。自然を愛する民族なのに。太陽、月、山、海、のことならいくらでも話があるけど、星となると、まったく存在していないかのよう。「七夕」の話があるけれどそれは、中国の伝説が日本で広く伝わっただけの話。

と言っても、「星」にまつわる「言い方」は日本語に多いです: 「星の宿り」、 「星の出入り」、 「星を数うる如し」、 「星を落とす」、 「星を稼ぐ」、「星が割れる」、「星の如くに列なる」、 「星を指す」、「星の紛れ」等々。 でも一番好きなのは:「星を戴く」と「星行する」。

小さいときからの習慣で、朝起きるのは非常に早い。毎日4時頃自然に目が覚める。起きて必ず夏でも45度の風呂に入る。そして一杯のコーヒーを飲んだら、たとえ「逆立ちで富士山を登れ」と言われてもやれる元気がある。冬山も、星を戴きながら登り始めるのが大得意でした。

「荒海や、佐渡に横たう、天の川」 芭蕉

 

 


 いざ!出発  (松本市) DEPART (Matsumoto)

 

山友達が多い松本にはよく行きます。その黒色の「烏城」が一番素敵なのは桜が満開になるとき。それが毎年、ゴールデンウイーク頃です。

まだ雪に覆われている穂高を登って、一週間から10日間位の白い世界の中で過ごして、下山すると、ふもとで満開になってる桜や、リンゴの木や色んな花で雪目よりまぶしい。

銭湯に入って、豆腐料理専門店で夕ご飯をいただいてるうちに、いつも夜行列車で帰るはめになる。新宿に4時半に着いて、家に帰って、風呂に入って、ひげを剃って、仕事に出かけた。そんなことがしょっちゅうだった。

自慢の六地蔵を大好きな黒い城をバックにして取った写真。

姫路のしらさぎ城より松本の烏城が好きな自分が大好き。

 

 


ひとりぽっち  (佐渡島) SOLITUDE (Sadogashima)

 

- どうしたんですか?
- なんともない...
- そんなことないでしょう。
- 実は、振られたんだぁ。
- だからどうした?
- ...寂しいじゃないですか?
- そう?

そのとき「そう?」と言う質問する人が大嫌い。
「そうやね」と言ってくれる人がいい。

分かってくれるもう一人の「ひとりぽっち」が絶対いい。

 

「この道や、行く人なしに、秋のくれ」 芭蕉

 

 


ひそひそ話  (白川郷)  CONCLAVE  (Shirakawago)

 

夕暮れになっても、白川郷を見下ろせる高台で、腹這いになって、高さわずか10センチの六地蔵を雪の上に置いて、撮影を永遠に続けている私を見て、AD兼ドライバ兼コーヒー担当の大親友の「道さん」が黙っている。

どう思っているのでしょうね。

「早くせんかい!寒いし、風呂も入りたいし。たのむわぁ!今晩、初めて合掌造りで泊まるのに。何でこんな寒いとこおらなあかんの?」と思っているに違いない。

だが、道さんは何も言わない。鼻を真っ赤にして待ってくれてる。

冬景色に必用なのは:厚い羽毛服、辛抱強い友人と...ソ連製の温かい毛皮の帽子。 

 

 


巡礼  (白川郷)  PELERINAGE  (Shirakawago)

 

「冬の白川郷はおそらく静かでしょうね」と思って、行って見たが、日曜日の原宿の竹下通りなみの混雑で驚きました。さすが世界遺産だなぁ。しかも、夜ライティングされて幻のような風景になる。

その晩、初めて合掌造りで泊まることになって、大変喜んでいた。大部屋で他のお客さんと夕ご飯をいただいた後、その建物のオーナーと夜遅くまでこの地方での冬の暮らしについて話した。確かに大変な毎日です。

「夏の沖縄の夢を見ながら冬を過ごす」。それがコツだそうです。

文句をあまり言いたくないが、世界遺産に合わないお店を選んだほうがいいと思います。

巡礼道が良くなります。

 

 


悲しみ  (佐渡島) TRISTESSE (Sadogashima)

 

「賽の河原の石積み」より寂しい話はない。恋しい父母のことを求めて小石を積んで塔を作ろうと亡くなった子供たちが、その愛と悲しみの固まりを壊しに来る鬼に対して何も出来ないというのは本当に心を打たれる日本の一番悲しい話。

地蔵菩薩に感謝。

この佐渡の賽の河原、牧牛先生の地蔵様を連れて見に行きました。誰もいない、冷たい風に打たれている悲しい洞窟には何百体の地蔵菩薩が子供たちを守ってあげている。動いていたのは風車だけでした。

洞窟のほうへ向けて岩に地蔵様をおいた。

そして、僕も泣いた。

 

 


ぽかぽか  (白川郷) AGREABLE CHALEUR  (Shirakawago)

 

17年前、冬休みの前、南八ヶ岳の赤岳鉱泉の山小屋の小屋番がケガをして、一番古い居候だったので、当時の若旦那に頼まれて2週間「小屋番」として勤めたことがあった。

小屋内の仕事はあまり好きじゃない私が、掃除を若い連中に任せ、背負子を背負って、3・4人連れて、ふもとの歩荷小屋まで下りて、そして出来るだけカッコ良く荷物を高く積んで、歩荷隊の先頭に立って山小屋まで食料と飲み物を運ぶのは、辛いけど一番楽しかった。それを一日、3・4回やると、その日はそれ以外の仕事をしなくても許されるということだったので毎日のように歩荷をやっていた。夕ご飯の準備を料理が出来る人に任せて、真っ赤になってるマキストーブに手を当てて、登山ガイド達と会話をしていた。手元には熱いお汁粉とシャリシャリの野沢菜。

とんでもない小屋番だった。

なお、この写真を画像処理している間に、偶然に千住明の「おじいちゃんのじまん」と言うタイトルの音楽を聴いた。みなさまもそうしてみてください。

 

 


六地蔵  (佐渡島) LES SIX JIZO  (Sadogashima)

 

時々「地蔵泥棒事件」そして「首切り事件」を耳にします。誰がそんなことを出来るでしょう?、どんな理由で地蔵を盗むのか、どうして首を切るのか私にはどうしても分かりません。どうしても許せません。

赤岳山荘の近くに20年以上気が付かなかったお地蔵さんがいた。今は、そのお地蔵さんが家にいる。
4年前に、泊まった翌朝早く起きて、酒で潰れた相棒達が起きるまで散歩でもしようと山荘から出て、初めて岩にとけ込んだその地蔵に気が付いた。
「おばあさん、あの地蔵って、いつからいたの?」
「おまえを20年以上守ってくれてるよ。」
「えぇ!今まで気が付かなかった。こういったお地蔵さんどこへ行けば手に入れられるんですか?」
「欲しければ、持ってっていいですよ。」
「そんな!」
「いいですよ。」
「おばあさん、もう一度言ったら、持って帰ります。」
「何回言わせるかい!持ってっていいですよ。」

開眼を受けていないお地蔵さんは単なる小石の塊だと言われて、いただいた。背中にはその石を彫った川田貞子さんの名前が書いてある。大昔、一時的に行者小屋で小屋番をしていた知り合いでした。

今は、この石の塊、「お地蔵さんとして」家にいる。家宝です。20年間以上、無視されても、黙って私を見守った。毎日、出かける前に必ず「水」を上げて、お礼を言ってます。

 

お陰様で。

 

 


さび  (佐渡島) SABI (Sadogashima)

 

「さび」「わび」のコンセプトは向こうの人には分からないとよく言われる。そんなことない。確かに分かりづらいがとんがってる鼻の持ち主も分かるようになるはず。時間と経験さえあれば。

フランス語にはそれに匹敵する単語がない。そんなことないですよ。
時間をかけて、勉強すれば、それにピッタリな短い単語が見つけるはず。

30年経っても、まだこのひとつの単語が見つかってない私がこの写真とその次の写真を通して、自分なりに「わび・さび」の世界を分けて表現するつもりで努力した。

「まだまだ」と二十歳前後の若者に言われた。

 「おまえに言われたくない」と寂しく、とんがってる鼻を高くして呟いた。

 

 


わび   (佐渡島)  WABI  (Sadogashima)

 

「raffinement austère」「profonde tristesse」と言う言い方よりふさわし言い方が見つからないので今のところでこれで我慢をしている。いつか、それにピッタリな単語を見つけるでしょう。

それとも、「kimono, tsunami, samurai, sushi」のようで思い切って「wabi」と「sabi」をフランス語に導入させ使わせてもらう。それの方がいいかもしれません。

だが、そうすると、どうやって以下のような俳句をフランス人に分からせることが出来るだろうか。

「わびしらにましらななきそ」古今
「山里は秋こそことにわびしけれ」古今
きのふはさかえおごりて、時をうしなひ、世にわび」古今
「しくしく和備思かくて来じとや」万葉
「今は吾は和備そしにける」万葉
「思ひ絶え和備(ワビ)にしものを」万葉
「わびうたなど書きておこすれ共」竹取
「わびされに、青き紙を柳の枝に結びつけたり」蜻蛉

真剣にそう思うと、ふとわびしくなる。

 

 


水車   (飛騨高山) MOULIN A EAU (Hida Takayama)

 

何冊かのフランス語の教科書を出版しました。それぞれの本を時たま開くと、不思議に作った時の香りがする。そして作ったときに聴いていた音楽が聞こえてくる。

というのはいつも同じ音楽を聴きながら本を書いているから。Fauré の「レクイエム」、姫神の「まほろば」、中島みゆきの「鳥になって」 ベートーベンの田園交響楽、喜多郎の「古事記」、東儀の「Togism」等々。

とにかく音楽がないと物を書けない私にとっては音楽がガソリンの役目を果たしてくれる。

そのガソリンの一滴がこの写真にピッタリ。姫神の「水車まわれ」です。聞いてみて下さい。二次元の写真に新たな奥深い次元を加えてくれる。

 


白い雲   (松本市)  NUAGES BLANCS  (Matsumoto)

 

フランス語で「雲」のことを「ニュアージュ」(nuage)と言います。フランス語の中でもっともきれいな発音の単語だと思います。日本語の「まほろば」と同じくらい好き。坂本龍一も好きらしい。彼が書いた音楽の一つにフランス語の「nuages」のタイトルがついている。わずか2分の非常に不思議なメロディー。

雲に飛ぶ薬:45度の朝風呂
雲の主:毎朝45度の風呂に入れるなら、なってもいい。
雲と泥:朝風呂に入ったばかりの自分と20時以降の自分。
雲の裏:パラグライダーで一回だけ見に行った。雲だらけだった。
雲の旗手:人間が人間になってから、いつも見に行きたいところ。
雲を踏む:最高の気分。特に朝方、雲海が広がるとき。
雲はてしなく:姫神の音楽の一つ。
雲の都:上の方が早く帰りたいところ。

 

 


わらじ地蔵   (松本市)  WARAJI JIZO (Matsumoto)

 

車で松本市から40分、穂高町から15分、満願寺が北アルプスのふもとに森の奥に隠れているような感じで建っている。春にはお寺の周りにある5000本の躑躅が満開になる。それはそれは素晴らしい風景です。是非、行って見て下さい。お寺の入り口、私にとってもっと素晴らしい物が二つあります。

その一つは:日本に三つしかない屋根付き橋。満願寺の屋根付き橋は寂し気な小さな橋で誰から見ても懐かしいところである。

もうひとつは:古い六地蔵です。道祖神の多いこの地方にはお地蔵さんが案外少ない。でもこの六地蔵の背丈は1メートル以上あって、その橋を守っているような気がしてならない。

この屋根付き橋と六地蔵を是非、雪の降っているとき見に行って下さい。
もし、あたりにソ連製の毛皮の帽子を被った、髪の不自由で、真っ赤にとんがってる鼻の「変な外人」がいれば、声をかけて下さい。

99%が私、安道礼です。

「 違います」と言われたら、走って逃げて下さい。絶対、変な人だから。

 

 


夕焼け  (白馬)  CREPUSCULE (Mont Hakuba)

 

フランス人の悪い癖のひとつは、何から何まで理由をつけないと気が済まないことです。「何でコーヒーが好きか」について1時間位説明を出来る民族です。とにかく、理由なしでは生きられない人々です。たとえば、この「冬の旅に出たお地蔵さん」の写真の多くは、空が真っ黒です。「その理由は何ですか?」と聞かれるとフランス人たちが恐らくこう言うでしょう:

・ 「星が見えるための色だからです」とカッコをつけて言う人もいるでしょうね。」
・ 「年一回しか食べられない大好きな黒豆と大スプーンで食べる時もあるごまの色だから」と冗談で言っ  てごまかす人もいるでしょう。」
・ それとも「真っ赤になる前の囲炉裏に入れる備長炭の色だから」と気障な言い方をして訳の分からな  いことを言う人もいるでしょう。」
・ 「黒歯国が好きだからです」もっと訳の分からないこと言う人が必ずいる。」
・ 「大好きな黒漆の色だからです」と言ってやっぱり訳の分からないことを言う人がいる。」

理由はいたって簡単です:「牧牛先生の人形に一番合う色だからです」。と言いますのは「黒砂なければ砂金がない」。

 やっぱり、私はまだ「フランス人」ですね。

 

 


優しさ  (佐渡島)  GENTILLESSE (Sadogashima)

「市川さん、すみませんが車を止めて下さい。たばこを買いたい。」

2000年の夏、飛騨高山で待ち合わせた市川さんご夫妻から「車で一緒に東京まで帰りましょう」と言われて、喜んで彼らの車に乗った。帰り道に車を止めさせ、たばこを二箱を買った。東京までと言うことで乗ったけれど結局相模原にある家まで送って頂きました。

4日後、郵便で市川さんの奥さんから小荷物が届きました。小さな桐の箱には心打たれる素晴らしい巻絵手紙と...たばこ一箱。

「主人の車にお忘れになったタバコ箱をお返しいたします」と筆で書かれていた。

次の年、湯布院の「塚原の4人展」で、その次の年、パリでの展覧会で、この優しさにあふれた箱を紹介したら、みんな感動しました。


国語辞典には「優しさ:他人に対して、心づかいがこまやかなさま。思いやりがある。」と書かれている...

それでは物足りない説明ですね。

 

 


冬山  (白馬) MONTAGNE D'HIVER (Mont Hakuba)

 

鳶職から空飛ぶパイロットまで幅広く冬山を愛する人が多い。その中で「熊さん」と呼ばれている大酒飲みの鳶職がいる。普段、物静かな本物の山男だが酒が入ると「がやがや」喋り始める。止めようがない。

10年以上の付き合いにもかかわらず一緒に山を登るたびに、僕のつるつるした頭をいつも馬鹿にしてる。

「ハゲよ!ザイルをゆるめてよ!」
「ハゲよ!カラビナを外して!」
「ハゲよ!ケがないか?」

「ハゲよ!」「ハゲよ!」冬山の素晴らしい景色の中で彼の声がいつも響いて...

いつか彼からある質問をされた。
「ハゲよ!フランス語で「ハゲ」何て言うんだ?」

「来た!それだ!」と思った僕が喜んだ。

「しょうがないな!誰にも言わないなら教えてやる」と言ってあげた。
「分かった、わかった。」
「フランス語ではな「エレガン」と言うんだ!」

その日以来、八ヶ岳の冬景色の中で彼の大きな声が響いた。
「エレガンよ!ザイルを引っ張ってよ!」
「エレガンよ!右へ行け!」

熊さん、このブログを読むことがあったら、怒らないでね。実は 「エレガン」élégant は「優美な,上品な;洗練された,気品」の意味でした。

 

嘘をついてごめんなさい。


Chauve(ショーヴ)より 

 

 


冬の海  (佐渡島)   MER D'HIVER (Sadogashima)

28年前、スペイン語の先生に招待されて12月の終わり頃、松島を見に行った。共通の言葉がまだまだ未熟な日本語しかなかった。

今思うと、結構面白い組合せだったでしょうね。

日本人より体の小さい、ふさふさの髪の毛とむしゃむしゃの口ひげのスペイン人と背の高いハゲ頭のフランス人が片言の日本語で喋る。

松島は確かに素晴らしかった。波一つない海に浮かぶ島々と静かに降る大粒の雪。二人で何百枚もの写真を撮った。

そして二人で数十個の生牡蠣を食べた。夜、泊まった旅館で夕飯をいただいている間に、布団を準備された。部屋に戻ったとき、二組の布団がくついて並んでた。

「何を考えてるんだ!ホモーに間違えられた!」と言いたくって、言えなかった二人が笑いながら、自分の布団を引っ張って出来るだけ離れて寝床に入った。

波ひとつない湖のような松島の海よりも狂ってるような佐渡島の海の方がいい。

 

 

 


忍耐  (松本) PERSEVERANCE (Matsumoto)

 

「忍耐」がクライマーの松田宏也さんに一番合う言葉。

中国のミニヤコンカで遭難して、凍傷で両足の膝の下そして両手の全ての指を切断された。2年後、義足をつけて一人で丹沢を歩き出した。5年後、冬の八ヶ岳を登り始めた。8年後三つ峠の壁を登った。10年後一人でスキーを始めた。

忍耐と努力の塊の松田さんを一度も身体障害者として見たことがない。彼が出来ないことが二つだけで:缶ビールを開けることとタイヤチェーンをつけること。

数年前に丹沢の鍋割山荘が初めて行った「水ぼっかレース」に彼が何人かの友達と一緒に参加した。

「国際身体障害者組」として出た。私も「髪不自由な方として」参加しました。

一組5人で、一人で20リットルの水を頂上の近くの鍋割山荘まで背負って走る。自ら、松田さんが一番ハードな4区を走った。レースの結果:55組中で23番で終わった。

彼よりその4区を遅く走った人は「人間」ではない。

人間ではない「人」が何人かいた。

恥を知れ!

 

 


おやすみ  (白川郷)  BONNE NUIT  (Shirakawago)

 

どういう訳か知りませんが、日本の子守歌が大好き。最も好きなのは「武田の子守歌」。

初めて聞いたとき、内容が分からなかったが、静かなやさしいメロディーだけでかなり侘びしい曲と感じた。

30年がたって、日本語が幾らか上達した今、確かに淋しい内容の曲だった。

30年がたった今はこの子守歌の色んなバーションを持っている。その中で Jia Peng Fang ののバーションが一番気に入っている。この中国の楽器が曲の寂しさをいっそう引き立たせている。

何処の国の子守歌も必ずと言っていいほど淋しいです。どうしてでしょうね。

誰か、教えて下さい。

今日は、もう夜も9時になりますのでこれ以上考えることが出来ないので忍耐のない私は寝ます。

お休みなさい。