小田原のクラフト・エイトギャラーリーでの写真展(2000年11月) Exposition à Odawara Craft Eight Gallery


ほほえみ (木崎湖)   SOURIRE   (Lac de Kizaki)
 

わらじ地蔵の最高の笑顔です。

朝方、木崎湖をバックにして撮影したが、
画像処理をするうちに、
バックを黒くすることにした。

この笑顔には余計な物はいりません。

この笑顔には余計な言葉はいりません。

 


いい夢を  (穂高町)  BEAUX REVES (Hodaka)


大好きな黒澤監督の「夢」の第四の話が撮影されたところに行って、取った写真。

後ろに流れてい沢を監督のことを考えて結局黒く直しました。
せっかく穂高駅から25分かけて夏の強い光線で
「いただき」(頭の天辺)を焼きながら
「大王わさび農場」のとなりにある撮影場まで歩いたのに。

その映画のために作られたわらぶき屋根の小さな建物が今は崩れかけている。
寂しいことです。

夢の国で監督がきっと泣いていると思う安道礼より。

 


がまん、がまん  (阿弥陀岳、八ヶ岳) J'ENDURERAI, J'ENDURERAI  (Mont Amida, Massif de Yatsugatake)

 

毎年、12月の最初の土日、25人位の「山家さん」が南八ヶ岳の赤岳山荘で集まって、忘年会を開きます。真夜中まで、大酒飲みの皆さんが出されている桜肉と鯉をほとんど無視して、ビール、酒とワインでご機嫌になります。

 一滴のアルコールも飲めない私にとって、チャンスです。馬刺、刺身、野沢菜、そして巨大シュークリームを「腹八分目に食べる」と言う大切なこころがけを無視して、倒れるまでに食べています。

 二日酔いを知らない私、6年前に、翌朝早くこの「大方」を連れて、阿弥陀岳の下にある行者小屋まで借りたゴムの長靴で登った。零下12度の白い世界の中で、腹ばいになって、この大方と沈黙の会話を交わした。

 「寒いか。」
 「しゃぷいよ。 そちは?」
 「寒い、決まっとる。」
 「がまん、がまん。」

 冷やした腹を、2時間後に、こわした。

 

                          


がんばる  (南八ヶ岳) PERSEVERANCE (Massif de Yatsugatake)

 

行者小屋から赤岳鉱泉経由で赤岳山荘に戻る途中、林道には二つの幹を持つ大きな木が大昔から立っている。隣には、真冬でも凍らない泉がある。その木の下には、錆びた鉄の空っぽの祠がある。

 この道をとって、入山、下山するたびに、他の登山者に見られないように、無事な登山を祈りそして無事な下山に礼を言うつもりで、いつも素早く、片手で挨拶をしていた。

 その日、この祠のそばの、葉っぱが落ちた木の間にさした光の所にこの羅漢さんをおいて、写真を撮りながら、一人で笑ってた。「なんっちゅ顔をしてる!」 まことに「がんばる」と言う気持ちをよく表す表情。

 その日、私には、別の意味の「がんばる」があった。とにかく、赤岳山荘まで、この素敵な冬山を汚さないように。

 ちなみ、この写真は「旅に出たお地蔵さん」の写真展のDM(ダイレクト・メール)に使われたものです。

 

 


からすうり  (真鶴、神奈川県)  FRUITS ROUGES (Namazuru, Préfecture de Kanagawa)

 

「真鶴の海を見に行きませんか」といつもトルマリンと言う大好きなコーヒー豆を焼いてくれる家の近くのコーヒー専門店 DADAのオーナーから招待されて、12月の晴れた日曜日、この地蔵さんを連れて海を見に行きました。真鶴に入ってしばらくして道路の左側にある海の幸の専門店で腹いっぱい刺身をご馳走になりました。

 海岸のあちこちに真っ赤なからすうりの果実が輝いていた。その中の黒褐色の種子はカマキリの頭に似ると教えられた。「狐の枕」とも呼ばれている。何てすてきな言いかた。

 海岸でオーナーがいれてくれたコーヒーの味が海より深かった。山のように砂糖をいれる私にとって海と同じくらい苦かった。

 18年たっても、今でも、毎朝欠かさず、そのトルマリンの豆を挽いて、砂糖をいっぱい入れて、一日が始まる。

  いつも、ご馳走様。

 

 


 

心のふるさと   (野平、白馬、長野県)  PAYS NATAL (Nodaira, Hakuba, Préfecture de Nagano)

 

 白馬村から野平を通って車で15分ほど、日本むかしばなしに出てきそうな隠れ部落があります。一般の観光客はほとんど知らない。「いろり塾」と言う名前が付けられている。冬は行くのが困難。長靴を履いて、1時間近く歩くことになります。

 最近まで冬でも一件の家から煙が出ていた。去年は、煙がなかった。野平を出たところで、わずか50メートルの間、その部落が見られる。

 私の夢は、この写真にあるようなわらぶき屋根の古い民家を利用して、「牧牛美術館」を設立することです。そして、作務衣を着た自分が見に来てくれるお客さんと、いろりを囲んで、シャリシャリの野沢菜と熱いお茶を味わいながら、人生と将来を語ること。

 「おい!誰か、とめてあげなさい。」

 

 


牛方宿   (栂池、長野県) AUBERGE USHIKATA  (Tsugaike, Préfecture de Nagano)

 

長野県の栂池から糸魚川方面に出ると、道路の右側に「牛方宿」と呼ばれてる江戸時代のわらぶき屋根の建物があります。糸魚川から塩尻の間に「塩の道」がある。

 日本海で作られた塩と海の幸を松本まで牛と人が3日間かけて運んでいた。47キロの塩を歩荷(ぼっか)している人にとっても100キロ以上を運んでいる牛にとってもこの120kmの旅は非常に辛かったでしょう。その間、動物と人が寝泊まり出来た宿が未だにのこっている。それが「牛方宿」です。

 私が名付けた別名は:「知られていないタイム・マシン」。一旦中へ入ると、江戸時代に戻ります。

 2003年の6月、古くなったわらぶき屋根が作り直されてきっときれいになったでしょう。この屋根作りに参加したボランティアに感謝。

 石臼の上に置いたこの祠つきのお地蔵さんを撮影している時、この牛方宿を見に来たお客さんが「かわいい、かわいい」と言っていた。あまりにも使われすぎて大嫌いになったこの形容詞を聞いて、お地蔵さんをしまうところで、怒られた。 「だめですよ、とっちゃぁ!」

地蔵泥棒に間違えられた。この僕が!

 

 


祠  (相模原市)  SANCTUAIRE (Sagamihara)

 

祠に入ってるお地蔵さんが一番好き。何ででしょうね。どこへ行っても、祠代わりに使える物をいつも探しています。元々、地蔵菩薩には祠がない。日本に入って、子供たちの守り神として愛されて、誰かが雨、風、雪から守るために周りに小さなやしろを作ってあげたのが祠の始まりかな?それだったらいいなぁ。

 この「祠に入ってるお地蔵さん」を牧牛先生に頼んで作ってもらった。家の守り神です。毎朝、20分かけて家を掃除してから、必ず、お地蔵さんに水を捧げる。右側の小さな備前焼のカップで。この習慣がエスカレートして、今は八体のお地蔵さんにお茶をあげることになりました。

 それをやっている自分を見て、時々思うには:「何をやっているんだ!単なる、人間の手が、しかも知り合いの手が作った、単なる土のかたまりじゃないですか。」

 そうではない。水を捧げる間に、「土のかたまりではない。開眼を受けてなくっても!」と自分を納得させ、続けて水を捧げる。

 始めた限り、続けなきや!
 それでも、地蔵泥棒かよ!

 

 


ぼく、強くなるんだ (南八ヶ岳) FORT, JE SERAI TRES FORT (Massif de Yatsugatake)

 

「一に努力、二に努力、三,四が無くって、五に努力。才能が後から付いてくる。」この日本のことわざを初めて聞いた時、驚きました。これだ!才能の無い私のための諺。それをライフワークにしよう。

だが、それを毎日実現させるのは、至難のわざ。時たまガッツを入れないとすぐ怠けてしまいます。人間って弱いもんです。

だが、その同じ弱い人間がとんでもないことをすることもある。両足と両手の指を無くしても岸壁を登る人がいれば、25歳から90歳まで、65年間、一日も休まずに、愛する心身障害者の息子の世話をした人もいる。人間って、強いもんだ!

これからも、強くなって、才能のある人間となるように、努力します。


  程々に。

 

 


さけび  (白馬岳) HOURRA (Mont Hakuba)

 

25年間日本の山々を登った私は一度も「ヤホオォ」を叫んだことがない。もちろん、「万歳」も一度もない。
結構恥ずかしがりやの私は、いつも他人の目から自分を見て「きっとああ思うでしょう」と考えて、物が言えなくなる。

「見て、あの外人。いい年して、しかも禿げて、ヤホオォだってさぁ!」と言うにちがいないと思うと、大きな声で叫ぶことが出来なくなる自分が悔しい。

その代わりに、この方を連れて、心ゆくまでに言わせた。

 気持ちがよかった。

 

 


土壁 (上宝村) MUR DE TERRE  (Kamitakara Mura)

 

35年前、まだJRが国鉄と呼ばれている時代、ゴールデンウィークを利用して長野県の松本から穂高岳を登って反対側の岐阜県の西穂高の方に下山した。麓に着いたとたん一週間近くのストライキにぶつかった。帰りたくっても帰れない。降りたところが上宝村。4泊もしてしまいました。

泊まり代が無くなっても泊めてくれた、どこかの赤い橋のそばの宿の皆様を忘れていません。確かに後で泊まり代を送ったけれど、その優しさに対して何もしなかった自分が嫌い。

上高地線を通り、岐阜方面へ安房峠トンネルを抜けて、左に行くと飛騨高山へ、右へ行くとその上宝村に入る。入ってしばらく行くと、左側には崩れかけた民家がある。

この土壁の向こうにどんな人々が住んでいた?どんな生活をしていた?「皆様どこへ行ったのでしょう?無事でいらっしゃるんでしょうか」と思いながらお地蔵さんを置いて昔の宿の皆様を思い出した。

  いつか、その赤い橋を探しに行きます。

 

 


なかよし   (飛騨高山)  ENSEMBLE  (Hida Takayama)

 

飛騨高山年へ2・3回行くたびに、古い商店街の近くのお寺に泊まります。

そこのお坊さんとその奥様、とても心の暖かい方々です。その奥様も牧牛先生の古い作品を大事に持っている。冬、完全に冷えた本堂の脇にいろり部屋があります。お風呂をいただいてから、そこの部屋に呼ばれます。

そして、真っ赤になった炭に吸い込まれながら、夜遅くまで人生について語ります。

道祖神からヒントを得たこの作品をそのお寺の庭で撮影した。

 このお寺の「人のため一生懸命働く」心の温かい夫婦に捧げる。

 

 


いらっしゃい   (マダガスカル) BIENVENUE  (Madagascar)

 

遠いマダガスカルに仕事で初めて行くことになったとき、お地蔵さん一人を連れて行こうと決めた。2泊2日(飛行機が0時頃着いて、0時頃出発することによる)だけの訪問でしかもハードスケジュールだったので、写真を撮れる時間があるかどうか心配だった。

首都アンタタナリヴォからちょっと出たところで、道沿いに一軒の家が建っていた。「家」といえるものではなかったがそこに人が住んでいた。入り口には門が無くて、麻のような布で中を隠していた。そこから出てきた年齢不明なじいさんが微笑んでくれた。ドライバーに車を止めさせて、じいさんの許しを得て、鞄から、あの方を取り出して、入り口の枕木のような物において、そのじいさんの暖かい微笑みと心を表現するように撮った写真。

このお地蔵さんを初めて見たじいさんが何も言わずまた微笑んだ。
私も、微笑んだ。

その方には二度と会えないでしょうね。それを思うと、ちょっぴり寂しい。

牧牛先生のお地蔵さんが日本からいままでで一番遠い所に行って、人を喜ばせた。それを思うと、すごく嬉しいです。

 

 


夕焼け  (マダガスカル) CREPUSCULE  (Madagascar) 

 

日本を離れて、日本の田舎の風景を見られるなんて考えられないと言う人がいたら、是非、マダガスカルまで飛んで、あの国の田舎を見に行って下さい。

田圃、畦道、蛙の鳴き声... 赤い土を見なければ、日本までワープをした感じがするに違いない。強いて言えば、足りないのは... お地蔵さんですね。

これで、大丈夫でしょう。

マダガスガル!不思議でどこか懐かしい。

 

 


まほろば   (白馬) MAHOROBA (Hakuba)

 

白馬駅の手前には飯森駅があります。歩いて10分の所、塩の道沿いに、1526年に作られた長谷寺がある。お寺の入り口に天然記念物に認定された5本の大きな杉が立っている。

そのお寺のお坊さんに庭での撮影の許可を得るために話しをしたら、人が滅多に入らないお寺の裏の森に案内されました。そこで、1時間近くあちこち写真をとりながら、過ごした。

やっぱり、私は変でしょうか。宗教に興味がない私は何時間でもいられたのに、変と思われないように、出来るだけ早く、戻った。

「まほろば」。初めてこの単語を知ったのは、姫神の「まほろば」の音楽を聴いたとき。何て素敵な音楽でしょう。

何て素敵な発音の日本語でしょう。

元々、「まほらま」と言われていた。「大和が国の摩倍邏摩」と言えるなら、「古里は心のまほろば」と言えるでしょうか。

なお、この写真はコンピューターで画像処理をした最初のものです。20時間近くの作業の結果を見て、「結構、色々出来ますね」と思いながら自分の初「作品」に満足した。これなら、もっと勉強すれば、それなりの物を作れるんじゃないですか」と自分に言い聞かせて、今日に至る。

 

 


山への祈り (白馬岳)  PRIERE  (Mont Hakuba)

 

上高地線(国道158号)を走ると、急なカーブの所にグリンデルと言う赤い屋根のレストランが建っています。そこのオーナーシェフは昔からの山の友人で、奥様と一生懸命旅人が喜ぶ料理を作っている。音楽が大好きな彼は、レストランには二つのどでかいスピーカーをおいて、お客様がいないときチェロの音楽を楽しむ。

 一応、フランス料理っぽい料理を作っている。「三つ星」まで行かないが、採れたての野菜と山菜、自分で釣った岩魚や鱒など、いつも新鮮な素材で料理を作っているのでとても美味しいです。

 ときたま「とんでもない」物を作る。フランスのブルーチーズが大好きな彼はいつか自家製のそばがきにそのブルーチーズを混ぜて出してくれた。

 「げー」と思われる方、それ以上言わないで下さい。一度、食べてみて下さい。「柿ピー」と同じくらい素晴らしい組み合わせ。問題なのは、前もって、連絡をしないと、その「そばがき」を味わえない。自分で石の臼でそばを挽くことから始まるので、そうは簡単に食べられない。

 どうしても「げー」と思われる方、是非、無難な「シェフが自ら釣った岩魚の塩焼き」定食を注文して下さい。食後には、自家製のケーキと実に美味しいコーヒーを...。

その店のどこかに、彼にプレゼントしたその写真が飾ってあるはずです。

 

 


 海  (真鶴、神奈川県)  MER (Namazuru, Préfecture de Kanagawa)

 

地中海のコルシカで生まれ、海まで50メートルの所で大きくなった僕にとって、海は子供時代の一部そして波の音は子守歌でした。

日本に来てすぐ「山登り」を始めて、日本の海をあまり見たことがない。小笠原には2度ほど行ったけれど、鮫が怖くってどうしても海に入れなかった。「大丈夫ですよ、昼には鮫が沖の方に泳いでいくので、心配がないですよ」と言われても。

その代わりにその島々で作られているメロンや砂糖黍を朝から食べていた。 この真鶴の海にはフカがいるでしょうか。

ちなみ、家には、真鶴海岸の非常に堅い丸い石で作られたお地蔵さんがいる。

それを作ってくれた方が田中 武温さんで、間違いなく日本で一番石が好きな男。初めて紹介されたとき、小田原から飛騨高山まで、そして飛騨高山から小田原まで、車の中で「石、石、石」の話ばっかり。

それくらいの情熱を持つ人が大好きです。 

その代わりに、二度と一緒に旅に出なかった。

 

 


新たな命  (神城、白馬) RENAISSANCE (Kamishiro, Hakuba)

 

左の土壁のわらと古い木材の間から出てきた植物。

土壁、いろり、檜風呂そして屋根裏部屋のある家に住む夢を見ながら大都会で頑張って暮らしてます。

いつも、「生まれた場所と時期を間違えた。
200年前の江戸時代の日本に生まれたかった」と呟きながら...自分のヘアー・スタイルがその時代にぴったりだったのに。

褞袍を着て、いろりでもう一度焼き直した釣ったイワナの骨をかじって、焙じ茶を飲みながら、ことこと煮ているイノシシ鍋を待つ姿をしばしば夢に見る。その夢には津軽三味線を弾く友達、龍笛を吹く友達、そしてちとせ元が来てくれている。来てくれてないとき、水屋に隠したプレーヤーに姫神や東儀のCDをかける。

何でこの時代に生まれた!
                                                                                               
たのむぞう!新たな命を。

 

 


おはなし   (塚原,湯布院)  DIALOGUE  (Tsukahara, Yufuin)

 

ルールとして、自分のコレクション以外の作品を紹介しない。例外が一つだけあります。左の写真の人物。

湯布院にあるいろはにほへ陶ギャラリーにお邪魔したときに、お店にあった小林先生の初期の作品を見て、我慢出来なかった。

オーナーの藤澤さんにお願いして、貸していただいた。その店の周りの庭に咲いていた一輪のコスモスと一緒に写真を撮った。どういった会話をしているんでしょうね?分かりませんが、怒っていないことだけはたしかです。

宮崎県に「土々呂」駅と大分県に「ととろ」バス停があるが「トトロ」が住んでいるのは湯布院の塚原高原の真ん中です。

藤澤さんのご主人はこの方に似ている部分がある:見た目はこえけど本当はやさしんでー。

2003年5月、日本を訪問した際、妹、義理の兄弟とその間生まれた姪で6歳のクレールを2泊3日で藤澤さんの所へつれてってあげた。その姪が藤澤さんのご主人を初めて見た時、結構怖がっていた。それこそ九州の男。「藤澤さん」が言えなかったクレールが「トトロ」と呼んでいい?

三日間、起きてから寝るまで、このフランス人形がこの「トトロ」から離れずに、過ごした。
気が付いた点が三つある:
その1: 見た目はこえけど本当はやさしんでー。 
その2: 子供は、やっぱり、見る目があること。
その3: おじの私は立場がないこと。

 

 


秋の色  (飛騨高山) COULEURS D'AUTOMNE (Hida Takayama)

飛騨高山にいくたびに、大好きな古い商店街に出かける。なじみの店に顔をだす。線香の専門店では3ヶ月分の白擅香を、味噌の専門店では夏のキュウリのための味噌を2-3キロを買う。そして牧牛さんの人形を置いてある遊朴館(ゆうほうかん)ギャラリー兼喫茶店にコーヒーを飲みに行く。

その後、アンティークの店をかたはしから調べる:祠もしくは祠に替わる物を求めて。途中、木彫りの専門店に入って、イチイで掘られた新しいお地蔵さんが僕を待っているかどうか見に行く。

そして、「さしこ」の専門店にはとにかく素晴らしい目の細かいどてらを見に行きます。いつか、このどてらを自分のものにすると思いながら、小物を買う。

「『安道礼』入りのめがねケースを作って頂けないでしょうか」とこういった専門店に頼めなくって、小妖精の手を持った三河出身の女友達を連れて、「こういったものを作ってくれないか」と見本を見せて、頼んだ。生地と糸を買った。2週間後、夢に見た「めがねケース」を使い始めた。

もう3年になりますが、色褪せた、古くなっためがねケース、未だに大切に使ってます。道さん、本当にありがとう。

 

 


石たたみ (ペルージュ村、フランス) RUELLE PAVEE  (Pérouges, France)

 

「ヨーロッパの最も素晴らしい村です」と訪問先のリヨンで研修している教え子が案内してくれた。

間違いなく、欧州で一番の村です。さすが、フランスです。そこまでこのほとんど人が住めなくなった古い村を修復するのは立派。電線も一本も見えません。

鞄で寝ていたお地蔵さんを起こして、その村を見せた。手を合わせて、「おぉ、素敵です」と言ってくれた。

「いつか、日本人の友達にその村を見せよう」と思い、わずか2時間の訪問を終え、この村を後にした。

2001年の6月、22人の日本の方を連れて、その村を案内することが出来た。

 

 


ありがとう  (ペルージュ村、フランス) GRATITUDE (Pérouges, France)

 

牧牛さんをはじめ、8人の日本の匠がパリで「日本の心」のテーマで展覧会を開くことになった。

定休日の月曜日を利用して、その8人のメンバーとその家族と友達をTGVに乗せて、日帰りでこのペルージュ村に連れて行きました。村の真ん中の広場には一本の菩提樹の大きな木がさわやかな香りの白い花をつけていました。その広場にある古いレストランで「田舎のフランス料理」を頂きました。

3時間近くかけて。フランス人らしく。

笑っている、楽しんでいる皆様を見て、ここまで連れて来てあげたのは本当によかったと感動していた。

久子さん、あづみさん、この素敵な村を案内してくれて、ありがとう。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青い門   (マダガスカル) PORTE BLEUE (Madagascar)

 

10歳の春、電柱をわずか1メートル登って落ちた。右ひじの複雑骨折で2ヶ月近くの入院。お袋が持ってきたSFの本を読んで、読み直して2ヶ月間を過ごした。それ以来、SFが大好きになった。

題名を忘れたが、そのとき読んだ一つの話が未だに記憶に強く焼き付いている。

どこかの町で、一人の人がある道沿いの青い門に惹かれて、入った。その門の向こう側には庭があった。大人の目から涙がでるくらい素晴らしい、懐かしい庭だった。しばらく、この庭で時間を過ごして、外へ出た。「また絶対来る」と言いながら、忙しい生活に戻った。


「青い門の向こうのあの庭にまた行きたい」と

言って、探したが、どうしても見つからない。ある日、車にのって、急いでいるときその門の前を通った。どうしても時間がなくって、止まれなかった。

探すときどうしても見つからない。どうしても止まれないとき、その青い門が現れる。

不思議な話。

40年たって、地球の反対側にある島の東北と呼ばれている地方にはその「青い門」に似ている話があることを知った:マヨヒガ。

19世紀にマダガスカルの女王が住んでいた宮殿のこの青い門の裏には何があるでしょう。

 

 


 旅先   (パリ) VOYAGE (Paris)

 

ノトゥル・ダム寺院とお地蔵さん!これよりミスマッチなことがない!

「いいの、そんなことをして!頭、どうかしてます。しかも、自分の周りに、フランス人と日本人だらけ。どうしよう?」

迷ったすえ、撮った。

撮ったはいいが、日本に戻って、気がついたことが一つある。

お地蔵さんの後ろにいる男の人のヘアースタイルが...