想像上の聖獣 Etres imaginaires


歩く竜 Dragon (1)


 

牧牛先生の竜は非常に正確に作られています。ラクダの頭、鹿の角、ウサギの眼、牛の耳、蛇の体、鯉のうろこ、虎の5本の指の足(手)に鷹の爪。そして、どんな動物のものかは分かりませんが長いひげ。また、東洋の竜なのでもちろん翼はありません。

この想像上の動物のルーツは「ワニ」と考える専門家がいます。

古代中国の王が他界すると、その国の最も強い動物と一緒に埋められました。それがワニです。歴代の王が皆、前の王の時より大きなワニと埋めてもらいたいという願望を持ったので、とうとうそれ以上のワニがいなくなりました。そして、創られた巨大ワニの誕生。前の王のワニ以上の力のシンボルとなったワニに他の強い動物たちの一部分を付け加えて今日の竜が出来上がったと言われています。

山奥の沼や湖に住むとされている竜ならではの説話です。のちに、中国皇帝は人と竜がまじわって誕生したと言われ、信じられるようになりました。


中国神話では、この世界を支えている人頭竜身の姿の想像上の聖獣で、人類と動物の祖とされています。それを立証するように、竜は「東」と「春」を象徴します。どちらも「始まり」を表します。

東洋の竜は恐ろしく強い力を持っていても厳粛な獣ではありません。神秘的な知者です。大海に住み、雲、雨、稲妻を起こす魔力を持つ聖獣です。中国に仏教が広がるにつれて竜は護法善神と航海の守護神となります。

竜は冬、海や山奥の水中(沼、池)にひそみ、夏は天にのぼっていくと言われています。但し、中国の竜と違って日本の竜は自分の力では飛んで行けないようです。竜巻に吸い込まれて空高くのぼって行きます。「飛ぶ」のではなく「滑空する」ようです。

EL'Sパラグライダー・スクールの手塚校長と一緒に計算したところ、無風状態、気温18度で滑空比はおよそ148(1メートルの落下に対して148メートル前に進む)。この世で最高のグライダーだ!

ちなみ、パラグライダーの最良滑空比は9、ハングライダーは13、エンジンの止まったジャンボジェット機は14、アホウドリは18、エアバースA340は19、グライダーは50です。パラシュートを広げる前のスカイダイバーは0,5。

何の役に立たない情報で申しわけありません。

 


上がる竜 Dragon (2)

 

中国の竜:強い力と魔力を持つ神秘的な知者です。翼はありませんが魔力で空を飛びます。竜の前では、人間は無力です。

日本の竜:強い力と若干の魔力を持つ怒りっぽい神秘的な獣です。翼はありません。そして自分の力では飛べないので竜巻・渦巻・上昇気流等を利用して天高くのぼります。遅かれ早かれ人間様にやられるでしょう。

西洋の竜:ドラゴンと呼ばれています。日本の大蛇(おろち)のような野獣的な、粗暴な強い力を持ち魔力はほとんどありません。知性が全くない残酷な獣。翼は付いていますが飛ぶのは下手で、「ホップ・ステップ・ジャンプ」のようなやり方で地面から離れます。火を吐いても人間様に殺される運命に遭うでしょう。なぜなら悪魔・破壊・罪・死の象徴であるからです。

仏教では護法善神、守護神として尊敬されている竜ですが、キリスト教では悪物扱いされていますので、人間に退治されて、おしつぶされます。

西洋で悪者扱いされているドラゴンは、同時に古代から軍の象徴とされています。これには二つの理由が考えられます。
1.竜の巨大な力を自分のものにするため。 2.敵に恐れをうえつけるため。

なお、喜多郎のCD「古事記」には「大蛇」という私の大好きな曲があります。この力強い音楽を目を閉じて聞けば、村の嫁達を食いに来る大蛇の接近、そして「すさのおのみこと」との戦いと退治のイメージが見事に浮かんできます。また中国の竜の接近を素晴らしく表現しているのは S.E.N.S. のCD「Palace Memories」に出てくる 「The Dragon」です。是非一度聞いてみて下さい。

そして龍笛の第一人者となった東儀秀樹のCDもおすすめします。

面白いドラゴンが出てくる二冊の本:
1.強欲なドラゴンが出てくる、トールキンの「ホビットの冒険」。
2.名前を名のらない神秘的なドラゴンが出てくる、アーシュラ・ル・グワインの「ゲドの戦記」シリーズ。

最後にくだらない疑問を一つ。
竜のルーツがワニであるなら、これから「中日ドラゴンズ」は「中日アリゲーターズ」と呼んでもいいのでしょうか。

... えらいすんまへん。

 


(修業中の)烏天狗 Karasu Tengu

 

2003年の夏、日本の様々な妖怪について牧牛先生と話をしていたとき、あることを思いつきました。
「先生、烏天狗と山姥とナマハゲを作ってくれませんか」。

「やってみましょう」と言われて、半年後出来上がったのがこのお見事な黒い土の烏天狗です。

半人半鳥の姿、羽翼、高い鼻、とがった口、修験道の山伏のような服装と被り物...非の打ち所がありませんね。完璧!

それに、あから顔を黒い土で現すなんて!さすが芸術家の牧牛先生!

「先生、羽うちわは?」

「翼の付いてる烏天狗は自由自在に空を飛べるからそんなものはいりません。」

「それもそうですね。」とそのことを一番分かっているはずの元パラグライダー・パイロットの私は限りなく恥ずかしい思いをしました。

「羽うちわを持つのは一枚歯の高下駄を履いている大天狗ですよ」と説明されました。

日本についての知識が豊富と確信をして天狗となっていた私は、またまた限りなく恥ずかしい思いをしました。

「先生に負けるものか!」という気持ちで改めて天狗と烏天狗について調べました。

だが、天狗の起源を見極めようとしてあっと言う間に諦めました。勉強をすればするほど「天狗」が複雑な存在だということがわかったからです。
とりあえず「烏天狗」だけに専心して分かったのは:

・烏天狗は天狗の配下とされていることが多い。「小天狗」とも呼ばれている烏天狗は(大)天狗の子分であること。
・大天狗と違って烏天狗はまだ修業中である。修業したらそのうちに大天狗になれること。
・修業中の烏天狗の鼻はあまり伸びていない。ちなみに、烏天狗や天狗の高い鼻はイラン系中央アジア人の鼻をモデルしたものである。
・神通力を持っている。だが高層の法力によってこれを失うと、鳶もしくは鷹に変身して逃げ去って行くことがある。
・自由自在に空を飛べるので空中から人間に襲いかかることもある。その時、手には時々刀や槍のような武器を持っていること。
・くちばしのようにとがった口を持っている烏天狗は、腹の底までしみわたるような恐ろしい声で笑うこと。
・風の吹く晩に、烏天狗達が集まって、高い松の木の上で、雷の空鳴りみたいな「カラッ、カラッ、カラッ」という声でいろいろと相談すること。
・年に一回、神様のお使いで村へ行って、そこに住んでいる人たちを調べること。誰が死んだとか、誰のところにお嫁さんが来たとか、誰のところに赤ちゃんが生まれたとか、どこの子どもがいいことや悪いことをしたか調べに行くこと。
・風の吹く晩に、烏天狗さんは、ふだん悪いことばかりする子どもの家の屋根の上で笑って子どもを怖がらせること。

ところで、キリスト教の「聖書」と呼ばれている聖典に一番最初に出てくる鳥はご存じですか。 「鳩ですか。」 「残念でした。」烏でした。40日間続いた大洪水の際、ノアは烏を偵察に飛ばしました。何回か箱舟に戻った烏が、ある日戻って来なかった。「水がいくらか引いて、烏は食べ物を見つけたのではないか」と考えたノアは鳩を偵察に飛ばしました。しばらくして、鳩がオリーブの枝をくわえて戻って来ました。これで、我々人間と全ての動物が助かりました、ということになったそうです。

やがて、オリーブの枝をくわえた鳩は平和のシンボルとなりました。そして、戻って来なかった烏は忘れられることとなりました。本当は烏のお陰だったのにね...

日本でも烏は同じような立場に置かれています。だって、神武天皇に熊野から大和への道を案内をしたのは「やたがらす」でしたよ。にもかかわらず、烏の鳴声は今でも悪い知らせや人の死の前兆とされ、不吉な鳥として見られていますよ。どこへ行っても嫌われる烏。可愛そうな鳥です。

子供達がよく歌う「烏、なぜ泣くの?」の泣く理由がもうこれでお分かりになりましたね、皆様。

「どうですか、先生!これくらい調べれば、もう『烏天狗専門家』として通用するでしょう」と鼻を一層高くして言おうとしたところで、もう一つのことがわかりました。それは、修業中の烏天狗の色は真っ黒であること。

これから、傷つけられた自尊心を癒しながら頼んだ山姥とナマハゲを楽しみにしている安道礼より。

 

 


獏(ばく) Baku

 

2001年5月、新潟市での個展に出品されたのが初めて作られた獏です。今はもう一つ、九州のいろはにほへ陶にあります。この作品を手に入れた時、なぜ子供が乗っているのか分かりませんでした。しかし、獏のことを調べて「なるほど」と...

貘(獏)は、古代中国の想像上の動物で、身体全体は熊、足は虎、毛皮にヒョウの斑点、尾は牛、顔と鼻は象、目は犀(さい)のようです。顔だけを見ると「象」に非常に似ていますが耳を見れば「獏」か「象」かすぐ分かります。

上を向いて、穴の見えるラッパ型の耳であれば、獏です。下に向いて、穴の見えない垂れた平らな耳であれば、象です。でも、牧牛先生の獏、耳がたれいます!像でしょうか。違います。よく見ると、ちゃんと耳はラッパ型で穴が見えないようで見えますよね。

獏という霊獣は悪い夢を食べてくれるとよく言われています。こんな「間違いなくまずい」ものをなぜ食べてくれるでしょうか。どこからこの話が出てきたのでしょうか。

大昔、ちゃんとした敷物がなかった時代、動物の毛皮を敷いて寝るのは色々な意味で体の弱い人間の為に、必要なことだったでしょう。皮の毛の部分を地面に置いて、皮のところで寝ると、まず、毛にじゃまされて虫が近づくのを防ぐことが出来ます。そして、毛を外にして皮を体に巻くようにして寝るのは一番暖かいです。虫、寒さ、そしてそれらのものが原因で来る病気から体を守れます。一石二鳥です。

獏の毛皮よりも虎、ヒョウ、カワウソなどの毛皮のほうが寒さから身を守ってくれますが、それらの動物を捕まえるのは至難のわざです。水の近くに暮らし、水草を食べる獏のほうが危険の少ない捕まえやすい動物です。

昔、中国に住んでいた人々にとってこういった毛皮は毎日の生活に欠かせないものだったに違いありません。暖かい毛皮に守られて、深い睡眠に入って、ゆっくり休んでいた体は病気に強かったでしょうね。恐らく、そこから、獏の毛皮を敷いて眠ると疫病や邪気は近づかないと考えられるようになったのでしょうね。

この言い伝えは海を渡って日本に入りましたが、獏のいない日本では獏の絵を札に描いて枕の下に置いて寝る習慣が広がりました。一時期、流行だったようです。中国の「獏の皮で寝ると疫病を避ける、さまざまな邪気を払う」の話に日本特有の「獏は悪夢を食べてくれる」という言い伝えが付け加わられて現在に至ります。

敷いた獏の皮ではなく、本物の獏に乗っている子供は「怖い夢を見ないように」と祈るのではなく「お陰様で、健康で気持ちよく眠らせていただきます」と感謝をしていると私は勝手に解釈しています。

無我夢中になって働いた後、布団に入った瞬間は「天国の玄関」。意識がうすれていくときは「天国」。意識が消えた瞬間は「無我」。そして、「無」。

 


河童(男) Kappa (mâle)

 

今のところ、妖怪である河童について分かること:

体形について:

・形は四、五歳の子供の大きさのようで、大きさは70センチから最大150センチである。
・河童の種類によって体の色彩は様々:東北のものは赤く、西日本のものは緑色。青色、青黒色、灰色のものもいる。
・皮膚はヌルヌル、ぬめぬめしているが体毛がびっしり生えているものもいる。
・生臭い又は魚臭い体臭をしている。

・頭上には凹み又は皿のようなものがある。少量の水を容れる。

・この水がなくなると力が出なくなる。乾いた状態が続く又は皿が割れると死んでゆく。
・キリスト教の中世の修道僧のヘアースタイルのような髪の形をしている。
・背中には甲羅がある。
・腕は伸縮自在であるが抜けやすい。


・種類によって右腕と左腕の骨が繋がっている。その場合は方腕を縮めてもう片方の腕を伸ばせる。
・両足に指が3本しかない種類がある。すべての種類の手足には水かきがある。
・とがっている口先から水を吐きつける。
・そして、凄まじい威力の屁を放つ。

この作品は1996年頃の古いものです。とがっている口先、頭上の凹み、見えないが背中には甲羅がある。相撲好きならではの太い足。5本指の種類のようですね。付いているべきものは付いているが立派とは言えませんね。伸びるかどうか分かりませんが右手には釣り竿を持っています。

 


河童(女) Kappa (femelle)

 

上の作品と同じ年に作られたものです。赤っぽい色なのでおそらく東北出身の女河童と思われます。見えませんが甲羅、頭上の凹みはちゃんと付いています。手の大きさを見ると相撲より腕相撲に強い女河童でしょう。

河童の別名、住み場について分かること:

・別名について:
日本全国、河童の少ない北海道から多い九州まで180以上の愛称がつけられています。

九州だけでも65の呼び方があります。いくつかを紹介したと思います:スイコ、カワラコゾウ、カワノヌシ、エンコウ、ガラッパ、ガワタロ、ドチ、ヒョウスベ、メドチ、カワノトノ、スイジン、ガタロウ、ノシ、セコ、ガラッパドン、カワラボウズ、ヒョウスベ、カワランベ、ヒョウスンボ、ガメ、ドンガス、カワエロ、ケンムン、ガッパ、カワソウ、カワントン、ホンコウ、ユンコサン、コマヒキ等々。

・住み場について:
川や池、沼の深み及び海などの水界に住んでいます。だが、21世紀に入ってから住めるような環境がなくなるにつれて、その数は非常に減っています。近い将来、「絶滅危惧種類」から「絶滅寸前種類」と宣言されると思われます。
寂しいことです。

 


酔っぱらい河童 Kappa ivre

 

ハイテク社会から追い出されて行き場を失った日本最後の河童は大好きな酒を飲む。近い将来祀られる祠の中。静かに。寂しく。

性格について (その1):

・水界に住んで、水中での行動は抜群。陸上を歩行する。
・田植え、祇園祭前後、そして田の草取りの時に一番活動する。
・キュウリ好き、酒好き、女好き、いたずら好き、生血好き、相撲好き。そして、負けず嫌い、鉄嫌い、金気嫌いである。
・悪戯好きで畑作物を荒らしたり、厠で用をたす女の子の尻を触わったりする。また、時々川で遊ぶ子供を溺死させることもある。
・並みはずれて強い力の持ち主である。牛、馬を水に引きずり込めるくらいの。水中でその生血を吸い又は尻から腸を抜いて食べる。

・人を水中に引きずり込んだ時に、肛門から尻子玉を抜き取って食べることはしない。水の神である龍神に捧げる。
・格闘技好きで人間と相撲を取りたがる。負けず嫌いなので勝つまで戦う。勝つと人間の尻子玉を抜く。抜かれた人間は生気が無くなる。負けると腕を取られることが多い。
・1950年代頃からテレビのCMに出たがる。

 

性格について (その2):

・約束は一生懸命守る。
・礼儀正しい。河童に出会って、相撲の挑戦を受けたくない時、低くお辞儀をすれば、河童も同じようにお辞儀をする。そうすると頭上の皿の水はこぼれて力は弱くなる。
・河童同士独自の言語で話すが簡単な人語なら理解出来、話せる。
・日本人と同様に話能力よりも書能力のほうが上のようです。詫び証文を書けるくらいですから。
・ 律儀者で恩返しをする。命を助けてもらったお礼に毎朝、川魚を届けたり、人間に秘伝の良く効く傷薬をあげたり、製法を教える。そして田植え、田の草取り、木の運搬の手伝いをする。
・家の主護神となることもある。その時その家を富裕にする。
・1990年代頃から日本酒、殺虫剤、釣り道具、スナックを喜んで、気持ちよく宣伝する。CMのとりことなる。そして、ついに小説、漫画、映画の大スターとして活躍する。

この作品も古いもので、作られた時期は明らかではないが1994か95年頃のようです。

 

 


釣りをする河童 Kappa pêcheur

 

最初に作られた作品で今のところ唯一のものです(2003年)。

河童の元祖とされているのは様々で、明らかではありません。

動物説:元先は猿、川獺、亀、スッポンやサンショウウオである。

妖怪説:

1.河童は「座敷わらし」の一種である。座敷わらしと同じようにいたずら好き、住み着いた家に富をもたらす。彼らと同じすみかである川の淵から来ている。 

2.困難な工事に取り組む時、飛騨の匠は木や藁で人形を作って魂を吹き込んで手伝わせた。工事終了後、大工は用済みの人形を「川に来る人間や馬でも食べておれ」と言って川に捨てた。それが河童の元祖である。

神説:
1.日本書紀に登場する「ミズチ」と呼ばれている水の精霊の童子である。 
2.祇園牛頭(ごず)天王や天狗の童子もしくは御子である。 
3.中国の水神である「河伯」が(中国語で「グァーパ」)、日本の河童の由来である。大陸の水神信仰は日本に伝わって、水の神様として見られるようになったのが妖怪の河童である。やがて、豊作祈願や水難除けのご利益があると信じられて信仰の対象になる。

人間説:
1.昔の日本で、河原者と呼ばれた土木工事などの被差別階層の特殊技能者を妖怪視したものである。 
2.中国から来た呉人が元祖である。体に黒い入墨をさせられた奴隷や囚人は海を渡って日本へ移り、海や川など水辺で暮らす。魚を捕っている呉人の姿は河童の始まりである。 
3.一六世紀前後、ヨーロッパから日本に来航したキリスト教修道僧の姿を妖怪視したものである。異国の言葉を話し、異様な食生活をして、ポルトガル語で「カノハ」、オランダ語で「カッパ」と呼ばれている服装を着て、そして、何よりもあの髪型。一七世紀後半頃から全国に登場する「河童」という呼び名と初めて描かれる河童の図絵や像のことを考えると...

なお、明らかであること: 「はい、キュウリ」といきなり出されて、それをパクパク食べている安道礼は河童の子孫・末裔ではありません。

 


お地蔵さんに化け損なった狸 Tanuki apprenti en métamorphose

 

犬科である狸は見方によって犬にも、イノシシにも、猫にも見えてきます。そのことから「化け術の名人」とされているのは無理もありませんね。

この作品は最近のもので、間違いなく若い狸を表しています。未熟で完全に化けていません。格好はいいですが、頭は狸のまま。とんがっている口、口ひげ、そして耳はそのまま。

その狸の目から 「あれ?何でやぁ!」と読めるのは私だけでしょうか。

このポーズから見て、人間の世界で生きている私たちの八つの苦しみから救いだしてくれる除蓋障地蔵(じょがいしょうじぞう)に化けるつもりでしたね。


右手は肩の高さにあげて手のひらを前に。そろえた五本の指を上に立て、恐れや迷いなどを取り除く施無畏(せむい)を表しています。左手にはあらゆる苦難を取り去る不思議な宝珠。まさに除蓋障地蔵のポーズです。

ちなみ、今日から紹介されていく4匹の狸の内3匹が同じポーズをとっています。

なお、これらの4匹のうらを見ると立派な尻尾が付いています。


お地蔵さんに化ける瞬間の狸 Tanuki réussissant sa première métamorphose

 

小田原の「クラフト・えいと ギャラリー」に初めて行った時、飾ってあった8体の古い作品を全部持って帰りました。その中にはこの狸とそのすぐ下の狸がいました。作られたのは1997年頃と思われます。

この作品はお地蔵さんに化ける瞬間を捕らえた作品のようです。化け術の呪いが終わったとたん、恐らく口ひげも消えるでしょう。だが、頭の上には枯葉、後ろにはどうしても隠せない尻尾。

よくよく見ると、化け術経験豊富な狸ではないと思います。きっと、3回目か4回目の成功でしょう。顔には、成功した喜びがあまりにも出ていますから。「どうだ!俺って、うまいだろう!」

狸の毛皮は優秀で防寒用に最適。今は非常に少なくなりましたが、尻皮は冬の歩荷(ぼっか)をする山小屋の人達にとって必需品です。背負子を背負ったまま雪の上に腰を下ろして休むときなくてはならないものです。鹿や犬の皮で作られている物もありますが、やっぱり尻皮と言えば狸の皮に限ります。

冬の八ヶ岳の赤岳鉱泉で居候していた頃、私も狸の尻皮を持っていました。長年大事に使っていたこのちょっと短めの尻皮は今は手元にはありません。ある冬の日、歩荷中、立派な犬毛の尻皮の美人登山者に出会って話しかけました。

5分後、僕の狸の尻皮は犬の尻皮に化けました。

「どうだ!フランス人の口説き方、うまいだろう!」

 


お地蔵さんにほぼ完全に化けた狸 Tanuki vétéran en métamorphose

 

そのすぐ下の狸と違って、ベテランの化け狸です。頭の上の葉っぱがなければ「お地蔵さん専門家」の私さえ騙されます。「分福茶釜」に出てくる狸と同じくらい化け術のベテランのようです。

「タヌキ」と言えば、2003年の夏、山形県に行った際、高山植物に詳しい友達のお陰で初めてタヌキランという多年草を見ることが出来ました。名前の通り、狸の尾にとても良く似ている紫褐色の花穂が梢に付いていました。素朴でとても愛らしい草でした。

でも「花より団子」の私にとって「タヌキ」と言えば山小屋で一度だけ食べた狸の茶袋というマシュマロのような真っ白のキノコです。すまし汁に浮いていたこのキノコの味は不思議で案外美味しかったです。

赤岳山荘のおばちゃん!タヌキうどん、たぬきそばはいいからあのキノコ、もう一度食べたい!

でも、未だに食べたことがない本物の「タヌキ汁」を作ってくれれば、食べてみたい!

「大根、ごぼうと味噌があるから、後はタヌキだけだ。自分で取りに行ってこい!」と言われそうなので、こんにゃく、あずき、豆腐と味噌で煮た普通のタヌキ汁で我慢する。

まだ狸親父になっていない、なりたくないがなりつつある安道礼より愛を込めて。


お地蔵さんに完璧に化けた狸 Tanuki expert en métamorphose


 

「六地蔵」を造ってもらってから注文した狸。六地蔵と全く同じ土、同じ大きさで。

長い間、六地蔵と一緒に並べていましたが家に初めて来た人に六地蔵を見せても7体居ることに気が付かない人がほとんどでした。悔しいと思いながら毎回、説明するハメになって、私の説明の中に面白さが消えてしまいました。

気が付いても、どれが狸、どれが地蔵が分からないくらい完璧に造られていますので、人形の後ろにある尻尾を見ない限り、分かりません。

下から見れば、この嫌らしい目つきが見えるのですが...


ですから、最近この「狸」ではなく、この上の狸を六地蔵と一緒に並べています。分かりやすいので、これを見たお客様はすぐ笑ってくれます。

なお、この人形には別のタイトルを勝手に付けました。それは:

「狸寝入」。


鬼 Ogre

 

「鬼」 という想像上の恐ろしい怪物より複雑な怪物はいません。いくら勉強していても、全体的なイメージをつかんでも「鬼」を完全にマスターするのは至難のわざです。

日本の鬼に対して欧州に住んでいる鬼(ogre)は単純な怪物です。一言でいえば、大昔この世に存在していた人食い醜いまぬけな大男です。

神話によると神々が山、森、川を作ってもらうために鬼達に命を与えました。知恵のない鬼達が時間をかけて働きと経験によって「知恵」を自分のものにして、それこそ「誰か」の首を取ったように鼻高々になった反乱を起こしました。

怒った神々が戦う妖精や勇士を作って鬼達を退治してほとんど殺しました。今はこの世に残されている数少ない鬼達は変身して、妖精や人として静かに隠れて迷い子を待っています。

包丁を研ぎながら... 


なお、欧州民話によれば、生肉をはじめ鬼が最も好むのは「人の指」です。彼らにとってこれよりのご馳走がないのだそうです。 

 


神となった鬼 Ogre divinisé

 

ここで紹介している私のコレクションの鬼達を観察すると、一般的な鬼のイメージとちょっと違います。

虎の毛皮のふんどしを着ている鬼(モノ)もいなければ、毛深いモノもいません。一つ目や一本角のモノもいません。

金棒を持っているのは一人だけです。しかも祠の中に隠れています。勿論、大笠やみのを身につけるモノもいません。

今昔物語に出ているような、背丈270cm以上、3本指の手、それに刀のような長さ15cmの鋭い爪、3本指の鳥の足、琥珀のような目、耳までさけている大きな口、乱れている髪、恐ろしい形相の鬼は一人もいません。強いて言えば大口の鬼は何人かいます。

いくら見ても、巨躯で並みはずれて強い力の持ち主はいません。

東北地方の子供達から恐れているナマハゲや仏教の地獄に存在する情けを知らない、残酷な青鬼、赤鬼や黒鬼とかけ離れています。

どう見ても、物の怪の気配をまったく感じさせない鬼達です。人々に憑着しても、鬼気(もののけ)によってわざわいをもたらして、病気や死に落とすこともなさそう。

しかも人を食う様子もなければ一番鶏が鳴くと去っていく様子もありません。

牧牛先生の鬼達はどちらかというと2月の鬼追い式で追い出したい悪者ではなく、金峰山寺の「福は内、鬼も内」、元興寺の「鬼は内、福は内」又は「鬼は内、悪魔外」の様な守護神の鬼達です。

先生が作っている鬼は何処かで「人間臭い」です。一寸法師や桃太郎の話のように人間にやられるモノで、豆だけで簡単に追い払う様なユーモラスな鬼達です。浜田広介が書いた「泣いた赤鬼」に出ている、人間と仲良くしたい友情のこもった、フレンドリーな鬼みたいなモノばかりです。それこそ「鬼ごっこ」を一緒にしたくなる鬼達です。

 


鬼 (1) Ogre (1)

 

長~い長い年月の鬼の研究の結果、判明したことは:

・日本で昔から村の一番外れに、結界を表してそして疫神や悪霊をふせぎ止めたり、追い払ったりする日本独特の守る民俗神がありました。それは道祖神(別名:道陸神(どうろくじん)、賽の神(さいのかみ)又は塞の神(さえのかみ)、又は巨石や古木でした。

その結界の外側に存在する者あるいは「村」と言う共同体の支配者は、支配に従わない者のことも「鬼」として決めつけて処理されていたのです。

・日本書紀でも、「鬼」はやっぱり「よそ物」として見られている場面があります:「その島の人 人にあらずともうす また おにともうして あえて近づかず」。「よそ者は鬼」と言う考え方は桃太郎の話にも見られます。鬼ヶ島から鬼達が海を渡って村の人々を困らせていたのはそれこそよそ者でした。

・でも、この「よそ者の鬼」は場合によって「海の向こうから福をもたらす稀人」(まれびと)、「訪れる神」「守護神」として見られることもあります。恵比須神のごとく。この考え方の基で「鬼」と言う漢字は「カミ」と読まれたことがありました。そしてそのつもりで「鬼は外、福は内」ではなく「福は内、鬼も内」(金峰山寺)、「鬼は内、福は内」(元興寺)、「鬼は内、悪魔外」の掛け声が使われてあると考えられています。

・「万葉集」では、「鬼」という漢字を「モノ」または「しこ」(みにくい)とよまれていた。

・仏教では鬼は三つの役目を持っています。

一番よく知られているのは地獄での恐ろしい仕事。八大地獄に落ちた者は鬼達の「お陰」でとんでもない責め苦を永遠に受けます。「鬼も寝る間に」という諺がありますが地獄にいる鬼達は寝ない。そして彼らの中に仏も居ません、目に涙がなければ見残しもありません。覚悟して。場合によって覚悟して。

2番目の役名は守護神です。鬼神の妻であった鬼子母神(きしもじん)は出産、育児そして男女和合の守護神として尊敬されています。

最後は、極楽の門の前で「極楽の手形」のない亡者を追い返すこと。

・寿司にわさび。ピッザにアンチョビ。そして鬼に角と虎の皮のふんどし。その理由は「鬼門」にあります。「鬼門」と呼ばれている東北の方位は十二支で言いますと、丑の方位と寅の方位の中間にあたりますので、鬼は牛と虎の要素を持っているという説が一般的なようです。但し恥ずかしがり屋の最近の鬼はパンツをはいています。

・名前に「鬼」という漢字が使われている好きな村:

1.鬼無里:名前の通り、鬼が居ないが日本一うまい「おやき」が食べられます。特に、10月から11月にかけてしか味わえない「舞茸のおやき」です。

2.青鬼:名前の通り、青い鬼が居たらしいがそれ以外何にもない村です。


・最後に、なんと言われても鬼の一種のナマハゲは私の先祖ではないこと。

 


鬼 (2) Ogre (2)

 

上の「ナマハゲ」についてですが、何年か前に(正確に言えません!)、勤めている所の新所長に招待されて、日本料理を賞味している間に、東北の話題になって、30分近く「ナマハゲ」の話を聞かされました。

私を見ながら「ナマハゲは...、ナマハゲを...」を言うだけ言っても、私の遺伝的なヘア・スタイルに一回も気がつかなかったようです。幾ら何でも途中で気がついたに違いないのですが、さすが所長!目にも、顔にも「えらいこっちゃ!」の色を全く見せず「ナマハゲが...ナマハゲに...」を永遠に続けました。


その代わりに、隣に座っていた秘書の方が何回か私の目を見て:「所長を許してあげてね!」そして「心の中で爆笑している私も許してね!」。

そこまでやられたら「ヘイ!負けるもんか!」という気持ちになって、私も「ナマハゲには...ナマハゲなら...」。

日本の●●官、大~好きです!