人間 (大人) Adultes


読書 Lecture

 

読書中、ウトウトして気持ち良く寝に入ったこの方の背中に、間違いなく冬の温かい太陽の光が当たっているでしょう。

ときどき授業中、このポーズをとる研修生がいます。その時、私は何も言わない。その気持ちを一番良く分かるからだけではなく、その研修生は本当に寝ているかどうか分からないからです。

目が細くってね。

でもこの作品を見て「寝ている」とは思いません。机の上に開いたその本の厚さから見て、彼が読んでいる本は最近有名になった「指輪物語」でしょう。

となると、こんな素晴らしい物語を読んで、寝に入る訳がありません。きっとこの物語に出ているエルフ族のアルウェン姫の事を考えているのでしょう。

エルロンド王の娘で人間族のアラゴルンと恋に落ちて、不死の命を自ら捨てようとするこのアルウェン姫のことを優しく考えているのでしょう。

それとも、自分がアラゴルンとなってその恋の行方を想像しているでしょうか。       私のごとく。

  


石臼 Moulin à grain

 

なんとも言えない穏やかな表情の方!訪ねてきた友人のためにこれからそばを挽いて、打って、食べさせあげようとの気持ちを本当によく表している作品です。

この作品を見るたびに、木口光芳さんのことをいつも思い出します。松本と上高地の中間、国道158号沿いにレストランを経営するそば好きの友人。自分で育てたそばを本物の石臼でゆっくり挽いて、練って、そして最高にうまいそばがきを作ってくれるフランス料理のシェフです。

坊主頭になれば、木口さんはこの左の方に実によく似ている。同じような穏やかな顔をしている。

そばとなると、もう一件の店を紹介したい。

松本から白馬に向かう途中、有明神社の入り口には「くるまや」と言うそば専門店があります。今、有名になったこの店は、一日に何百人分のそばを作っていますが、昔からの味が変わらないざるそばを出してくれます。安くって、ボリュームたっぷりのそば。

そこの「一人前」は普通のそば屋さんの「2人前」に相当するくらいの量です。腹が減った方、ぜひ「きちげぇざる」を注文して下さい。これを全部きれいに食べたら、車で帰る途中、何があっても急ブレーキを絶対に踏まないこと。あしからず。

なお、石臼は日本一石好きな田中 武温さんが作った物です。

 


相撲取り Lutteur de sumo

 

2003年の夏初めて発表された作品です。これを見た瞬間、大好きなお相撲さんを思い出して、連れて帰ることにしました。

家に遊びに来る友達の中には「なんと可愛いお尻!」と言ってこのお尻を触る人がいます。確かにこのお方の頭を触る気にはならないかもしれない。かといって、尻を触るのはどうかと思います。

現在、親方になったそのお相撲さんはとても強かったのですがほとんどの決まり手は「押し出し」でしたので、あまり人気はありませんでした。

でも、私は好きでした。

浮世絵に描かれているお相撲さんのような強大な体、勝っても負けても無表情で、しかも無口。確かに愛らしいところが一つもありませんでした。左のお相撲さんと違って。

でも、相撲が本当に好きな方は「愛らしさ」ではなく「強さ」を求めているはずです。そのお相撲さんは実に強かった。格好を付けずに土俵に上がって、時間を無駄にせず戦って、格好を付けずに帰っていた。

木鶏の威圧力を感じさせる秘めた力の持ち主:北の海。 

 


おばあちゃん Grand-mère

 

おじいちゃん!喜べ! 牧牛神がおじいちゃんの願いに答えてくれましたよ。

2003年のクリスマスの日、牧牛先生に会いました。横浜の高島屋で作品を展示していた人形作家の高橋 まゆみさんに会うためでした。帰りに、「コーヒーでも飲もうか」と誘われて、喫茶店に入りました。そこで、去年の8月から頼んでいたあなたの「おばあちゃん」を紹介されました。

とても素敵で、上品で、優美な方ですよ。マサコ・ムトーさんみたいな方で、常に喜色満面に溢れています。しかも、知恵袋とも呼ばれているらしい。コーヒーを飲みながら、この殊勝なおばあちゃんに色々聞きましたが、案外無口でした。でも、話をする内にいろんなことが判りましたよ。

・「メカ」に弱い、アナログ人間です。と言ってもつい最近、コンピューター教室に通い始めました。でも、まったく理解出来ないのでコンピューターのことを「四次元に開く窓」と呼んでいます。
・昨年の秋、四国八十八ケ所巡りが終わったとたんパリに行って、三つ星のレストランでディナーを頂きました。そして滞在中、シャンゼリセにあるルイ・ヴィトン寺には興味がありませんでしたので、オペラ座でのモーツァルトの「ドン・ファン」を聴きに行きました。

・オペラとお地蔵さんが大好きなので、時々「お~そ~れ~山」に行っています。

・人生経験豊富なおばあちゃんのモトは「人生という航海、進路を決めるのは、かじを取る自分だけ」と堅く信じているようですが30分の間に5回も「ケセラセラ」と言っていました。

・「ランニングで頭が良くなる」と信じて、毎日、杖を振りながら走ってから、英語を勉強しています。それなりに英語で話せますがムキになると変なクセが出てきます。たとえば:「アイ・ライク・ベリ・マッチ...フレンチ・ワイン やでぇ~。」

・そうそう、先に言うべきでしたが、おばあちゃんは大阪出身でコテコテの関西弁で話をします。でも安心して下さい。ナニワのオバタリアンでないことは確かです。

・強いて言えば、買い物の際、値引き交渉に入るとしばらくの間、別人になります。どんな店員さんに対しても「にいちゃん、男前やなぁ~」と褒めてから「… で、何ぼにしてくれるん?」と交渉を開始します。ルールとして、4回「なんや~あかんのかいな~」と言わないと財布を開きません。でもそれ以外、「ばばあ」を言わないことです。

・関西人でありながらどういう訳か彼女が作る山梨県のほうとうと大分県のやせうまは天下一品やでぇ~。

・こう見えても足腰の強いおばあちゃんですよ。それもそうです。おばあちゃんは生駒の一番上のところにオシャレな家を持っているからです。

・あ!それからね、心配せんでいいよ。彼女は携帯の使い方を知らないから、気楽に一人で散歩に行けますよ。

おじいちゃん!このおばあちゃんだったら、共にして例の坂を楽しく続けて登れるでしょう。彼女のこと、よろしくお願いします。

 

 


じいちゃん Grand-père

 

2002年8月、東京の広尾にある「ギャラリー 旬」で「手のひらサイズ地蔵展」がありました。初めて作られた小さな作品で、そこで手に入れました。何とも言えないこのたれ目!実に素晴らしい表情です。このかたは、間違いなく「いい人生」を送ったでしょう。

「じいさん、どう? ちゃんと朝ご飯を食べたか?」

「若者よ!それはどうでもいいことじゃ。こんなくだらない質問をする時間があるなら、98年以来5年ぶりの米不作による現在の日本社会における悪影響を真剣に考える事が先だ。今朝、「政府の在庫が120万トンあり、米不足の心配はない」とインターネットで読んだが県産コシヒカリなど県のブランド米需要が上昇し、価格が上がる可能性も高く、消費者の食卓に上る新米への影響も出てきそうだ。それに関東農政局によると、タイ米の緊急輸入に...ちょっと待て...」

「なにか」

「携帯が鳴ってる...ばあちゃんからじゃ。...はいよ...はい...いえ...はい、分かった。...若いの、帰るわ。」

「大丈夫ですか?」

「はぁ。ちゃんと朝ご飯を食べたかどうかって。じゃな。」

こういった「じいちゃん」になりたいなぁ~。

 


案内 Guide

夜の帰り道を歩いて、奇妙な音を聞き、恐る恐る後ろを振り向く姿の作品かと思われますが、近くで見ると、そうではないことが一目瞭然です。

柔らかい色の提灯を見事に表している鬼灯(ホオヅキ)、振り向こうとしている姿と顔の表情から見て、付いて来てくれているお客さんを門から庭の長い石畳道を通して、料亭の入り口まで案内してくれる優しい、逞しい番頭さんを描いているに違いない。

仕事でモロッコを訪問した際、首都ラバトのメディナ(古い町)の中にある有名な老店でディナーに招待されました。メディナの奥にあるこのレストランに行くには、無数の非常に狭い小路を通らないと行けません。何回行っても恐らく一人ではこの迷路を歩くことが出来ないでしょう。そこでメディナの入り口には、その店のガイドさんがお客さんを待っていて、案内してくれます。

提灯を持って、ジェラバと呼ばれているフード付きのゆったりした長衣を着たこのガイドさんは一言も喋らずにゆっくり店まで案内してくれる。10分近く歩いて、看板のない古い門の前で止まる。ガイドさんは1回だけノックをする。沈黙の中で2・3分待たされる。門が開く。中に入る。

モロッコの中世時代の世界にワープ。時間が止まる。そして現実と幻想の狭間の中で旧時代の料理を頂く。

現実に戻ると幻想だけは思い出となる。 

 


ごえんさん Goensan

 

1997年頃作られた作品です。最近はこういった人形があまり見られなくなって、ちょっと残念だと思います。

長い間知らずにいて、つい最近調べて分かったのですが、大阪弁と福井弁でお坊さん、僧侶、住職のことを「ごえんさん」と言います。

右手には赤、桃色、白の古布の切れ、非常に小さい2個のすずと一枚の5円玉で飾られた竹のさおを持っています。太い耳、厚い唇、変わらぬ暖かい表情。そして広げた両手の間から隠してある豊かな心が見えてきます。とても愛らしい作品です。

「ごえんさん」のルーツが分かって、確かにどこかで、関西人に似ているような気がします。お祭りの御輿の前で踊りながら歩いていても可笑しくないくらいのその動き、そのはなやかさ。

この人形を作った時、牧牛先生はそんなことを考えていたに違いない。そうでなければ、こんなに上手に作れなかったでしょう。

まじめな牧牛先生の遊び心が見えてきますね。

 


何でこうなった?Pourquoi en est-ce ainsi?

 

牧牛先生の庭は宝箱のようなものです。しかも、掘る必要がない。あちこちに宝があります。捨ててしまいたいが捨てられない作品だらけです。

左の方はこういった作品の一つです。

「ちょっと出ます」と言って、庭にたばこを吸いに行くたびに、どうしてもこういった古い作品が目に入ります。そして「悪いなぁ」、「いけないなぁ」と思いながらどうしても言ってしまいます。

「先生、下さい!これ!これだけ下さい!もう、二度と言わないから、下さい」と言って頂きます。「それは、『頂きます』とは言えませんね。盗みに近いぞー」と共通の友達から怒られたこともあります。

捨てられて、右足の指を二本なくして、雨、風で汚くなったこの方が大好きです。コレクションの中では1、2の争い。

彼を見るとき、いつも同じ疑問が浮かびます。子供でしょうか。大人でしょうか。淋しいのでしょうか。怒っているのでしょうか。

それとも、手をつっこむポケットがなくって困っているだけでしょうか。

どうしても、分かりません。どうしても彼の表情が読めません。秘密のベールをかぶっているからこそ大好きな作品です。

佐渡島の冬景色に合うこの作品は1993年の作品です。

 


お福さん Ofuku san


 

上の作品と同様に、牧牛先生の庭から「盗んだ」ものです。泥棒の皆様、いまは牧牛先生の庭に行っても、無駄です。こういった作品はもう一体もありません。安道礼に取られないように別の場所に大事に隠されています。

1992年頃のこの古い作品を見た瞬間、「お福さんだ!この丸顔、この低い鼻、この高いひたい、このふくれているほお!これこそ理想的なお福さんです!」。そして次の瞬間、「何って、色っぽい方でしょう!」

スケベじじいにでもなったかなぁ。それともおかめの踊り相手のひょっとこになったのでしょうか。いずれにせよ「福助」にだけはなれないでしょう。

「お多福」、「おかめ」とも呼ばれているお福さんは、福を招く縁起物として見られる、以前から日本人の理想の美女像でした。

しかしどういう訳か最近になって「おかめ」は「醜女」の代名詞となりました。非常に残念なことです。だが、調べるとおかめさんには欠点がいくつかあります。

・気安くことを始めるのですが何事もあと一押しが足りないこと。
・片付けるのが苦手なこと。
・気持ちをその場では発言しないで後でグズグズ言うこと。

 

冬よく登った八ヶ岳の麓にある茅野、下諏訪、岡谷ではおかめは単なる縁起物としてではなく信仰の対象として祀られています。おかめ神社と呼ばれる神社の御神体は天鈿女大神(アマノウズメノミコト)となっています。宮崎県高千穂とともにこの地方ではおかめ様は天鈿大神のことではないかと考える人が少なくはないです。

なお、私の大好きな飛騨高山に、「おかめ石」があることをご存じですか。高山上一之町のさんまち通りから長さ100メ-トル位の坂があります。「えび坂」と呼ばれているこの坂を上がる途中、石垣の中に「おかめさん」の顔に似ている石があります。今度、高山に行くとき探してみて下さい。驚きますよ。おかめさんの顔にそっくりです!


お福と福助 Ofuku et Fukusuke

                                                                       

最近の作品で、とても気に入っているところもあれば、そうでないところもある。

体と同じサイズの丸い頭、そして満足そうな表情。絶対に悪いことが出来ない二人でしょう。そのまま生きていれば、二人とも無条件で友達になって欲しい。


きっと、もともと身分の高い二人ではなかったような気がする。頑張って、周りの人に迷惑をかけないように苦労をしてそこまで来たという感じがする。

昔からの友人を呼んで、これから、たとえ上下(かみしも)を着ていても、お互いに気楽に酒をお互いについで楽しい一時を過ごすつもりでいるのでしょう。

だが、あまり気に入らないところは、明らかに誰かに似ているヘアースタイル。先生に聞いたところ、「違いますよ。上下には丁髷(チョンマゲ)と決まってるじゃないですか」。「それもそうですね」。

でも後ろから見ても丁髷の「髷」が見あたらない。


夫婦 Couple

 

心を温めてくれるかなり古い作品(1998年頃)。

この作品を「夫婦」として見ると、「奥さん」の手には小さなお皿があって、その中には3つの団子がのっている。「きび団子?みたらし団子?それとも草団子?」いずれにしても、きな粉が見あたらない。まぁ、そこまで要求してはいけませんね。

「旦那さん」のほうが出来たての団子に頭を傾けて、子供のように手をしっかり膝の上に並べて、嬉しそうな顔をして楽しみにしているように見えるのは私だけですか?

奥さんから「待て!」とでも言われたのでしょうか。


おひな様 Ohinasama

 

かなり古い作品でとても小さい。にもかかわらず、普通の作品と全く同じくらい芸が細かい。目、口元、鼻、耳、手、指、全てが細かく彫られている。爪までしっかり付いている。

左の貴婦人の目つきと扇子の持ち方を見ると頭のてっぺんから高い上品な声で笑っている気がする。

「ヒィヒィヒィ、まぁ、どういたしましょう、そんなに笑わせていただいて...」

夫はその笑い声に連れられて笑ってるが、心の中では:
「ね、ね、許してあげて。ね、笑ってあげて。ねっ、ねぇ。」


大人達 Adultes